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「交流分析」なる心理学理論を勉強している。

・・・といってもどこかのセミナーに参加したりしているわけではなく、主にネットで調べて咀嚼しては自分を見直すという程度だけど。

交流分析法によれば、「人は幼い頃(一般的には7歳まで)に、無意識に自分の人生の脚本を書き、無自覚に脚本に沿った方向で生きようとする」のだそうで、その人生脚本の基盤になるのは幼い頃に影響を受けた人物(主に親)からのメッセージだという。乱暴に解釈してしまえば、ポジティブなメッセージを受け取って育てば肯定する脚本が、ネガティブなメッセージを受け取って育てば否定する脚本が出来上がる・・・と。

自分のこれまでの人生を振り返ると、なんとなく・・・どんな人生脚本なのかが見えてくる。これまでの重要な決断や「またこうなってしまった」と感じるような反射的反応を冷静に紐解いてみると、一定の方向性があるからだ。そして、「このシナリオではちょっとまずいかな」と思う。人生脚本から脱却できる人はほぼ皆無でも、人生脚本の書き換えは可能だということなので・・・人生脚本の再決断(書き換えること)を意識してやってみる。

要は気の持ちようということなのかもしれないけど・・・色々試してみよう。
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きっかけは、他者とのコミュニケーションがうまくいかない理由を色々考えていたところにある。「何でいつもこんな後味の悪い感情を味わうことになるんだろう?」と。そこで見つけたのが交流分析の分析方法の1つ、ゲーム分析だ。

ゲーム分析とは・・・「建前と本音が分離した時に起こるコミュニケーションの悪い癖を探る」とでも表現すればいいだろうか。

「褒めて欲しいけどわざと怒られる事をする」(子供が親にするパターンが多いのかな)とか、「認めて欲しいけどあえて相手を責める」(見えるように忙しそうに振舞うとかね)とか、「意見を主張したいけど相談して相手の意見を否定し続ける」(何を言っても「でも」で返してくる人は多い)とか。わざと相手の嫌がることをしてしっぺ返しを喰らって驚いたり、我慢した挙句に爆発しすっきりするかと思ったら混乱したり・・・も、そう。こうやって書いているだけでも思い当たる節が・・・ううむ。

本当に掻い摘んでの勉強なのでどこまで正しく解釈できているかは自信が無いのだけれど・・・そんな私のゲーム分析の解釈をあえて書くと、「自分が望む返答(自分にとってプラス方向のリアクション)が返ってこなかった」時、人間はなぜか「わざと望まない方(自分にとってマイナス方向のリアクション)に相手を仕向ける」という事なのだと思う。何も得られないよりはマイナス方向でもいいから何かを得たい・・・ということかな。まぁ、無視されるのは誰でも嫌なのでわからないでもないけれど、だからといってワンパターンでいつも嫌な思いをするコミュニケーションは考え物だ。どうしたらいいかというと、仕掛けない、または、仕掛けに乗らない、だ。ゲームには相手が必要だから、相手が乗らなければ例え仕掛けてもゲームは成立しない・・・まぁ、自分が仕掛けないに越したことはないのだけれど。

もし自分が仕掛け側の時は、本音と向き合うことが必要だ。時には自分が折れることも。
もし自分が仕掛けられた側の時は、相手にプラスのメッセージを送る事でゲームを止めることが出来る。

意識をすることで、少しでも非生産的なコミュニケーションを親密なものに変えていけたら・・・本当の親密で濃厚で温かい、居心地のよい交流を知ったら、ゲームをする意義を見失うと思うんだな。もちろん、「自己否定したい人生脚本」のままでは危険な香りもするのでそこは並行で見直しを・・・。


詳しくは「交流分析」で検索してみると色々出てくるので、そちらをどうぞ。



閑話休題。

もうとにかく、思うことの中でどれが口に出していいことなのか、判断がかなり危うい。

「まさに鏡の法則だな」とうんざりするほど自己嫌悪する状態が短くなく続いている。自分のもやもやを発散したくて口に出る言葉は大体が不安だったり不満だったりするから、その出した言葉達が自分の周囲に形になって現れたとしか言いようがない。自分の考え無しの言動で愛する人たちが互いを訝しがる様になってしまった・・・自分で仕向けてしまったのだ。なんかこういう奴いたな?私にとっては苦手な相手で、だけど離れがたくて、こうはなりたくないと反面教師にしていて・・・ああ、私も同類か、反面になってないわ。

うそはつかない。裏表なく思うままに。ありのままの自分で生きる。そう言ってしまえば格好よくて、素の自分を肯定できるから気分もよくて、そのマイロードを貫き通しすぎた反省にバッテンマークがついたマスクでもしておきたい気分だ。自分が「アリノママノワタシ」でいるのと、他者に「アリノママノワタシ」を強要するのとではえらい違いである。・・・自分の非を認められる自分でありたいね。

若かりし頃の、ひとりの時間をもてあましては妄想に暮れ心地よい脳内物質を出しまくってはその快感に中毒し、現実は世知辛いと目を背けていた自分を、ようやく直視できるようなところまで来たと考えれば成長なのだろうか。でもここがスタートライン手前な気もする。今となってはひとりで塞ぎ込んで嫌というほど考えるほどの時間は取れないけれど、もしかしたらそれに救われているのかも知れないな。


マザー・テレサの「愛の反対は憎しみではなく、無関心」という言葉が胸に刺さる。
いくつになってもぬくもりに渇いている心は、どれだけの無関心を心に刻んだのだろうか。


ねぇ、裸の女王様。されることが当たり前で、当たり前なことに無関心というその心が孤独を呼ぶのです。


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【2009/01/29 13:44】 ひとりごと | TB(0) | CM(0) |
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